(社)日本フランチャイズチェーン協会の誤り

コンビニ業界団体、深夜規制の市民会議への不参加表明(日本経済新聞)

コンビニ業界は間違っていると思う。

間違いのひとつめは、議論に参加しないという姿勢。

議論に参加しないのは、議論を無視したナチスと一緒といわれてもしょうがない民主党と一緒。もしくは、世界中の動物愛護団体から世界一動物愛護の考えを踏みにじっている国だと非難されているから、捕鯨をネタに日本に非難をヘッジするオーストラリア(自分を棚の上において進歩できない輩)と一緒。

間違いの2つめ。環境にやさしいとかCO2削減のための話し合いってのは、究極的には、「石油や石炭を使わない経済活動のため」の話し合いのことだ。そのことを念頭において考えると、参加しない理由として挙げた同団体の以下の考え方は完全に間違っている。

3.JFAの基本的な考え方

・ コンビニエンスストアの「年中無休・24時間営業」のビジネスモデルは生活者のライフスタイルの変化、社会的要請に対応してきた結果であると認識しており、今後も継続していきたいと考えております。

・ コンビニエンスストアでは、地域防犯への貢献や災害発生時のライフライン機能など、24時間営業だからこそ対応できる新たな社会的役割・責任を踏まえ、「環境と経済の両立」を目指して関係各省との連携・協力を図っております。

・ 京都市においても、これまでも協会加盟コンビニエンスストア各社は様々な社会貢献・環境保全活動に取り組んでおり、今後もその実効性を上げるべく取り組みを強化してゆく所存です。

・ コンビニエンスストアはフランチャイズビジネスであり、お客様はもとより、京都市内でコンビニエンスストアを経営されるオーナー、従業員や、商品の生産や配送にかかわるほとんどの方々は京都市民であります。コンビニエンスストアが深夜営業短縮を実施することにより、社会の仕組みの上から深夜に活動せざるを得ない多くの方々が生活の利便性や安心・安全を失うだけでなく、オーナーや従業員の生活が犠牲になるという問題を、協会として到底見過ごすことはできません。

・ 市民会議におかれては、これらの問題について十分に認識していただいた上で、真に市民生活の向上につながる公正な議論を進められることを切に願っております。

まず、コンビニという業界を支えているは誰か?つまり、コンビニに並んでいる商品のなかで国産でまかなえるものがどれだけあるのか?

石油の枯渇は、2004年にピークを迎え15年間はそれを維持してその後ゆっくりだが確実に減少する、という説もあるくらいだ。石油がなくなれば、先進国のなかではいの一番に日本の経済活動はすべて止まる。ライフスタイルだの何だのという問題ではない。温暖化よりも先に文明的な生活なんか出来なくなる。

そもそも、ライフスタイルなんてカタカナを使ってごまかすが、田舎とベッドタウンと商業地域(都会)では、ライフスタイルが違う。年齢でもちがう。それらのなかに、どれだけ24時間営業が「必要」としている層がいるのか?そもそも24時間営業は「want」に対処しているだけで、「必要」でないものじゃないか?それらに答えを示せず社会の要請などと、広告代理店みたいなことを標榜するのは、代表団体がやることではない。とっても横暴。

24時間営業をやめることで地域社会の経済が委縮させることは許せん、というがどこにそんな証拠がある?この論理が成り立つには、24時間営業を支えるすべての経済主体にきちんと利益を分配できることが成り立っている場合だけだ。商売を無くされると困るからと利益を無視してやっているところがある場合は、団体の主張は嘘であり、地域社会から利益を搾取しているのを誤魔化していることになる。

最後にコンビニは、地域の安全を高めたというが、本当か?逆に明かりが犯罪を集めていないか?それから、社会貢献などをしてるというが、温暖化を食い止めたいとか、限りある資源の使用を少なくしようという行動は何よりも社会貢献じゃないのか?24時間営業は、「必要」だから発生したいう論理を証明できない限り、経済的に余裕のある社会の過剰競争が生んだ無駄だと言われても仕方がない。

この団体が会議に参加しないのは放っておけばいい。コンビニ各社が、独自に参加することを望むばかり。ナチュローなんか、正々堂々と主張して欲しいところだ。

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メタボと後期高齢者医療

厚生労働省のこれらのシステムを作った人の話が聞いてみたい。

メタボ検診は義務化されたそうで。しかも、メタボに改善が見られないとその人の医療費が上がる可能性もあると・・・。 義務化する省も異常だし、医療費に跳ね返す健康保険組合はいったいどんな数学を使って計算してんだ? 事実に基づいた疫学とか統計の考えが全く感じられない。あるのは閉鎖された組織のなかに特有な政治的というか、恣意的な数字の操作だろう。これに関わったアクチュアリーがいたら恥を感じているのか聞いてみたい。

メタボ検診「医学的におかしい」

後期高齢者医療制度については、それを初めて知ったとき、自分の親を虐げる者への怒りと、運営する広域連合という組織の胡散くささ、将来の健康保険制度の実験だな、という恐怖感が心の中で渦巻いてきた。

アメリカでは黒人低所得層の寿命は、白人社会層に比べて5年(か10年)も短いという統計的な現実がある。後期高齢者医療制度の根幹にある受益者負担という考え方の行き着くところは、そんな現実だ。

どのメディアも、政府の準備不足と年金からの天引きの2点を非難しているけど、そんなのは政治家が官僚から力を奪えば簡単に解決することだ。しかし、弱者にも関係なく負担を強いる間違った受益者負担という考え方が蔓延したら、、、社会的な不公平感や絶望感を生みだしたり、寿命の低下とQOLの低下という現実が待っているような気がする。そういう社会問題の方が根深い問題だ。

金がなければまともな医療は受けられない。苦しんで死んでいくだけだ。それが受益者負担という言葉の影にある現実だ。しかし、老人が頑張ったきたのは、社会的にも経済的にも豊かな国の復興だったはずだ。経済的にはその復興は成し遂げられたのだから、その益を老人は受けるべきだ。それが正しい受益者負担というものだ。社会的な受益者負担というものだ。しかし、いまの受益者負担は、金があれば社会的な保障システムに入れてやる、という経済的なふるいでしかない。

金がない老人は医療を受けられず苦しみながら死ぬ社会になった。ひとは絶対死ぬから、死ぬこと自体に同情はしない。しかし苦しんで死なせることには激しく憤りを感じる。しかし死人からは文句は出ない。だからきっと数年後には、後期高齢者医療制度は成功したという統計上の数字だけが形成されるだろうと思う。劣悪なQOLや不公平感に心を乱しながら死んでいく現実が大きくなることは、そういう数字には決して現れない。

受益者負担という考えの落とし穴は、障害者の保障制度にも現われている。異常な障害者の増加(言った者勝ち根性の障害者が増えたと言われる)や、有象無象の介護組織(たとえばウィルコムの一部がそうだった)が国の予算を食い物にしたがために、本当に社会がサポートすべき障害者にサービスや金が行きわたらず、保障制度の破たんを招いている。そして、受益者負担という、一見公平そうだけど社会的にはまちがった考えのもとで収入の目途のない障害者に負担を強いる形となっている。

知的レベルの低い高学歴者というのは、きっとこういう制度しか作れないのだろう。

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レモン

 安心と信頼は、じつは同時に成り立たないのだそうだ。でも、それを両立させないと食っていけないのが日本の食糧事情だ。

 去年の日本の言葉は「偽」だったが、アメリカでは、某辞典がLocavoreという言葉を選出した。Locavoreとは、肉食、雑食という意味の食と、local=地元という言葉からできた言葉で、日本語にするとしたら地元食とでもなるのかな。地産地消という意味だろうけど、もっと切羽詰った感覚が漂うので、やっぱり地元食とか地食という造語のほうがいい感じ。

 で、locavoreは、アメリカの国民にある食の安全に対する不安や不信と、環境維持とエコ感覚が混ざったところに出来てきた食の行動。
つまり、Locavoreには自分の地元という集団に安心感ともとめ、安心を提供してくれる地元(の経済や環境)維持のために、たとえば地元のオーガニック農法を礼さんする気持ちの現れだろうとおもう。だから、locavoreを心酔して実行している世界には、内側には安心がみなぎっているが、外モノに対する信頼はない。外部のものはすべてレモン(いわくつき)だ!とおもっている。だから、安心と信頼は共存できない関係なのだそうだ。アメリカは自由貿易を標ぼうするけど、輸入に関しては恐ろしいほど保護主義が蔓延している。分かりやすい国だ。

 で、日本にこのことを当てはめてみると、こまったことになる。国産志向が高まっているから、一見、locavoreが進んでいるようだけど、ちがう。自給自立ができていないからだ。「外部のものはレモンだから買っちゃだめ」とマスコミが騒ぎ立て風評が当たり前になったら買えるものが減っていくだけ。通常、供給が減れば価格は上がるのだけれど、デフレを自虐的に美化してるフシがあって、価格を据え置きで、見た目をきれいにしつつ品質を落として辻褄を合せる事態になる。しかし結局、まずい、悪い、ものが市場に蔓延する。消費者は合理的にうごくので、悪いものに金は払わない。だから需要が減る。供給と需要が減って、価格が安くなる。これをデフレと勘違いし生産工程とコストを無視した安売りが美化されてしまう。そこには、信頼関係は作られる余地はない。

 では国産を増強しようといっても、膨大な時間と金とコミットメントを持った人間が必要。仮にそれが可能だとしても、Sastainabilityのことを考えると、価格は上げなければ国産ブームは一過性のものか、膨大な公的資金の垂れ流しで終わる。ところがやはり困ったことに、デフレが当たり前で育った企業のexecutivesや20代30代の現場の人間には、コスト増加など到底許されざることだろうから国産志向は増強も維持もかなり困難な予感がする。

 世界的に穀物だの原油だの金属が値上がりして大変だ!と何とかの一つ覚えのニュースだけど、少なくとも食べ物に関しては安くする方法はちゃんとある。余計な行程や検査や選別をやめるだけでいい。ひとつの例はとなりの韓国。彼らは穀物のGMOの輸入に踏み切る。当初は植物油原料に限定の様子だが、十分にインパクトがある。

 日本が人口減少に移るのはあと何年なんだろう?その時に生まれる人間が20-30才になったときにスマートに食糧の確保をできるようにするには、今の親がその方法を教えないとならない。海外にはレモンしかないと思うのが間違い。レモンに見える自分の目が悪い。そのことを教えられればいいだけだ。国産を支えるには、外食を含めた食費を今の倍にしなければならない。それが国産の安心の値段だからだ。そのためには、たとえば、携帯電話・通信などここ10年で急速に台頭してきたコストを抑えるのは一つの手だ。

 蛇足:カロリーベースで40%の自給率も、価格ベースだと70%もあるから気にするなという人がいる。しかしこれは「気にするな」という認知の問題ではなく、「国産はべらぼうに高い(乱暴にいって倍)」という経済的な現実の話だ。困ったことに、そういう間違った解釈を公言する人って、安い大量生産品をベースにしたビジネスを行っている人だったり、安い円金利を元にしたファンドで株を買うことが事業を拡大させることと勘違いしている人だったり、お役人さんだったり・・・。彼らが自分の立場を自覚した上で本音として発言しているとしたら、ちょっと絶望的。だって、そういうファンドは、借りまくった円を返すためにこれからもどんどん円を買うからドルはどんどん安くなる。そしたら、どんどん輸入品が安くなるので、国産が苦しくなる。お役人さんは、誰に媚を売るべきなんでしょうね。外食だって、食糧輸入が止まったときには潤滑な配給のために、いの一番に潰されるべき業界なので、すべての食材を高く売る(国産を安定的に使えるようにする)にはどうしたらいいか、よく考えたほうがいいと思う。

 

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餃子問題から、、、

たぶん餃子の農薬は材料に残留していたものではなかった。だれかが、故意か誤って完成した商品に付着させたものだ。

だから、、、

  1. これは生産工程の管理の問題ではない。
  2. これは犯罪である。で、犯罪の証拠である返品された商品を保管してある倉庫に、生協は報道陣を入れていた。原因を追及するという観点からしたら理に適わない判断だ。
  3. 生協はさらに、自社店舗内で殺虫剤で駆虫を行い、その残留が商品から検出された。サプライヤーに要求する基準向上に比例して自らも店舗の管理を向上しないと。
  4. また生協の商品基準はむやみに高いことはよく知られているが、上記2点を観察するに必ずしも食の安全の追及に立脚したものでなかったとうがってしまう。
  5. 水際での検査体制の強化を、新聞やテレビは訴えている。しかし、検査数を多くしたところで、犯罪には対処できない。犯罪は、システムが管理できないところを突くから犯罪であって、システムで守れるなら犯罪はそもそも存在しない。
  6. 自衛隊にも納入されていたというのは大問題。軍隊は自給自足が大前提。なぜなら兵糧を攻めるのは初歩の戦術であって効果は絶大。それに対して自衛隊は無力だった。
  7. 自給率40%は、食糧供給がsecureなら問題ない。価格追及のために、反日教育をしている国に食糧を求めたのが、食糧保障の観点から大問題。
  8. 自給率40%という数字の低さもさることながら、日本の食糧循環には時間的な余裕がないことも大問題。穀物の輸入がもしいきなり止まったら、日本の穀物の備蓄は3か月分しかない。植物油を多く使う食べ物、企業、業界は全滅。もしかしたらオリーブオイルで代替するかもしれないけど味と価格が合わず、多少の時間延長にしかならない。

こんなことが頭をよぎった。

 

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猫のIT

証拠はないけど、この猫は、こんなことをやってのける。
Smart Cat
1.ボスからのメールに勝手に返信をする。しかも常に暗号で。
2.ワープロを立ち上げ、暗号分を書いて、プリントアウトする。
3.パソコンが画面に書いてある文章をしゃべるようになった。読まなくていいからちょっと便利。
4.中国語を入力できるように勝手に設定をした。
5.なぞのurlを入力してインターネットサーフィンをしている。

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食べ物でズルが発生する経済学的説明

Negoro1 経済学で嫌ほど出てくるグラフを使うと、お値打ち感が目でみてわかる。
縦軸が価格。横軸が数量。右肩下がりの線が需要を表す線(価格が上がれば需要が少なくなる。価格が下がれば需要が多くなる)。右肩上がりが供給曲線(価格が上がれば供給量は増え、下がると供給量は減る)を示している。  

需要と供給が交差したところが価格で、乱暴にいえば、一般スーパーで買う値段のことだ。そして赤い三角形が消費者が買い物をしたときのお買い得感をあらわしている。

Negoro2 オレンジの三角は、ちょっと特別な商品を全員の消費者がその特別さをよーく理解している場合の三角だ。
普通のものを買う上の赤い三角よりも面積が大きいので、多少高くてもそれを買った消費者の得るお得感は大きくなるという説明になる。ただし、良さをわかってりう消費者でないとこれは味わえない。
Negoro4 では特別さの良さを知らない消費者の場合どうなるかというと、三角形の右側はえぐられる。さらに、社内コンプライアンスに長けたバイヤーは、仕入価格の上限に絶対値を置いてしまうので需要曲線はある価格で垂直に折れ曲がり、三角形の左がさらに大きく削られる。モノの良さを理解していない消費者の満足感は、一般品を買ったときよりも小さくなる。
じつは、これが今のどこの一般スーパーでも見られる現象。差別化という名の元に特別なものを仕入れてみるが、その良さを消費者が知らない。もちろんスーパーは、セルフサービスを信条にする業態なので良さを丁寧に消費者に伝えて三角形を拡大することによってお買い得感を大きくさせることができない。だから、消費者は安いものしか選ばなくなる。そして「ほんもの」と呼ばる良いものは一般スーパーでは売れるチャンスがどんどん小さくなる。
ともかく、ものを知らない消費者は一番損をし続けるしかない。

そうなると一般スーパーは、売り上げをのばすためにますますムキになって仕入値をとにかく叩いて買うことになる。
業者も「そんな高いの消費者が受け付けないよ」といわれれば、そんなもんかいなと売るのを諦めるか、コストを無視して売るしかない。でも、そんなビジネスが続くわけがない。だから、どこかでズルするやつがでる。

またスーパーもスーパーで、小さい図体では購買パワーがないから、資金調達力と政治力のある大資本がチェーンストア理論を推し進めて仕入価格の削減とコスト削減に邁進する。景気に関係なくデフレに陥る悪循環だ。 

ところで上の三角形を大きくすることでビジネスが成功しているのが、ホールフーズマーケット(Whole Foods Market)だと思う。仕入とコストを抑えることを突き進めたのは、ウォルマートだ。
こまったことに日本ではウォルマートを踏襲するスーパーしか今は存在しないような気がする。さらに何事にも芸術的な商品を望む日本人の心情と相まって、日本の食品の流通は「安全なものを適量に安定供給する」という基本的な部分が危機に面しているよな気がする。そしてさらにあと十年、後継者のいない農家は持ちこたえられるかどうか。メディアも、偽装をふせぐために農水と警察が協定を結んだなんてことをニュースにしている場合ではない。

「ほんもの」を知ること。これがひとりひとりの満足感を高めるし、生産から流通・販売までを円滑にし、いろいろな食の問題も氷解する部分があると思う。

Special thanks to Professor Shinichi Kurihara, at Chiba Univ.

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安田好弘という弁護士と陪審員制度

図らずして橋本弁護士が、光市母子殺人事件の弁護団から「懲戒請求を煽って営業妨害をした!」と訴えられている。真っ向から対決するようなので今後どうなるのか興味深い。
さて、もともとのこの事件にかかる議論の一つは、死刑は先進国(欧米)では根絶される方向にあるから、(ましてや成人前の)人間に死刑を適用するのはいかん、というものだった。18歳が未成年かどうかはとりあえず横においておくけど、死刑が先進国で廃止の方向にあるというのは、その言葉から感じる印象ほどに、本当ではない。

まずアメリカでは州ごとにちがう。死刑判決を認め実行しているところもあれば、やらないところもある。つい最近までは死刑モノトリアムという考えのもと、死刑の実行が自粛されてきた。安田弁護士などが死刑廃止の根拠として、このアメリカのモノトリアムを持ち出すことがあるようだが実際には州ごとに死刑にたいする態度は違うので、詭弁っぽい。じっさい、シュワルツネッガー知事は死刑モノトリアムの動きに対峙した時、結局死刑を実行した。わりとつい最近のことだ。

つぎに欧州に目を向けると、欧州(イギリス)では国家が被害者救済措置を準備している。被害者の心情に配慮をしたうえで、死刑を廃止しているという。

肝心の日本はというと、たとえば刑事罰などは加害者(犯人)の社会的復帰を前提に規定されているので、高い再犯率が野放しとなっていたりまた、刑事と民事を別に切り離してしまったので、一つの事件に関して裁判を別々に行わねばならなくなっている。しかも、それぞれの裁判で証拠の引用は許されていないようなので、それぞれの裁判で一から証拠・証人をそろえなければいけい。被害者にとっては、時間も金も精神衛生上もとてつもないコストを強いられるシステムになっている。最近、ある事件に関して刑事と民事で白黒が相反するケースがニュースになっていた。刑事で無罪となったが、民事で有罪となったという。

じつはこの点については、第2次世界大戦まであったシステムの方が理にかなっているらしい。それは、刑事と民事を同時に行うことができ、証拠も引用しあえるものだったという。だから、被害者の時間も金も精神的負担は最小限に抑えられ、そっと事件に向かい合うことができたようだ。(ただ、加害者からすれば、もし冤罪であったばあい、取り返しのつかないケースが予想できる。)
それが完全によいかどうか分からないが、いまの制度のなかから死刑だけを取り出して、廃止か継続かは議論しても良い結果は得られないと思う。

司法制度や背景にある考え方が他の先進国と違うのに、死刑の部分だけを同じにしようと論じるのは片手落ち。片手落ちだと結果はかならず、結局だれかにとって酷く不公平なものになるはずだ。

さてわたしは数年後に導入される陪審員制度に大反対。

社会心理学だかなんだかに「集団的社会では安心は増進するが信頼は崩壊する」ということがあるらしい。安心と信頼が反比例する関係にあることがいまだに理解しがたいが「信頼の構造」という本を読むにつれ、今の世の中と比べると、そんなもんかぁ、と思えてくる。
かつて日本は「村意識」と言われるような和を重んじる社会があった。その社会のなかにいるかぎり安心はもたらされていたはずだ。同時に、よそ者に対してはなみなみならぬ警戒心をもち決して信頼しようなどとは思わなかっただろう。
それが今日、コミュニティの結束が弱くなり「隣は何をする人ぞ」という社会が進んでいる。そしてたしかに社会に安心感がない。

アメリカで暮らしていて常に社会的な不安を抱いていたのだが、それに似たよう感覚を覚える。ただ、アメリカではそれでも心地良く暮らせた。それは、アメリカ人の陽気さとかフランクさだ、と思っていたが、同書を読んで、違うと確信した。
その根拠は、こうだ。日本人はアメリカ人ほと人を信じることができないのだ。人を信頼する技術をもっていないのだそうだ。アメリカ人は確かに自分を陽気に維持しようとする。でも根本には信じあおうとする姿勢がどこかにあったように思う。そしてその信頼をお互いに深めようと努力し続けていた。陽気さやフランクさ、そのための手段の一つであったように思う。

たぶんどちらかといえば日本人はいまだに、結束のつよい社会で安心することを望んでいるが、アメリカのさまざまな美談や成功例に触れるにつれ個人の自由も欲するという矛盾に陥っている。自由を謳歌したいのなら、安心は捨て信頼する技術を磨かねばならない。しかし、日本人には「日本人同士だから」という甘えのもとに、信頼を高めあおうというお互いの努力がみらない気がする。そして、安心感も信頼感もない社会に対峙した人々は、法律とコンプライアンスをよりどころにせざるを得なくなっているように思う。法律という文章とコンプライアンスという建前では信頼は築けず、人々は立ち行かなくなるというのに。そして、同時に自分の感情を他人のそれと比べ、同調できたら爆発させ一時しのぎな満足を得ているように見える。
最近の政府の改革は、集団的社会を崩して競争力を高め、経済成長を続けていくというものだ。集団的社会と決別するなら、国民全員が他人を信頼する技術を磨かなければいけない羽詰った状況にあるのだろうけど、そういう動きが見られない。社会の安心感は喪失するわ、他人を信じる技術を持たない人々が集まったまったら、なんだかおそろしく殺伐とした社会が目に見えるような気がする。

そんな状態に陪審員制度が導入されたら・・・。ほとんどすべての陪審員は、マスコミの論調や感情で人をジャッジするしかない。それっていったい何百年前の未熟な社会へも戻ることになるんだろう。アメリカの裁判好きを冷笑する日本人は多いが、いまのまま陪審員制度が導入されれば、日本でも裁判は増え、そして真実に照らされない感情本位な判決が目白押しとなるのではないかと危惧している。

さて、安田弁護士。以前読んだ安田氏の著書では、真実を明らかにすれば死刑は必ずしも妥当ではないケースがある、じつは死刑廃止云々よりも、真実を明らかにしたいだけなんだ、というのが安田氏の本当の狙いだと説明していたように記憶している。
真実を明るみにして法律に照らして罰するという考えには賛成だが、いまの彼のとっている行動では、その方向には絶対にいかない。彼が本来行動すべき矛先は「はじめから筋書きありき」という批判が高まっている検察に向けられるのが道理だ。また当件にかぎっていえば、加害者が精神発育異常だったとするなら、精神科学や心理学などの世界で研究され将来に向けてのデータとして蓄積・分析されるべきよう行動を取るのが筋に思える。

どうも安田氏の行動は、偏った死刑廃止論を振りかざしているがために、実は異常世界を世間に暴露することで個人的な功名心が満足されてるだけで終わってる。彼の行動(目的と手段を履き違えた行動)は、「村の安心感を捨てきれずにかといって個人主義に必要不可欠な信頼構築の技術を持ってない社会」が、陪審員制度だけを導入したときの恐怖と同じだ。その恐怖とは、感情判決による冤罪増加と真実追究のチャンスの喪失だ。それって、じつは安田弁護士が彼の行動を通じて無くそうとしていることに他ならない。

裁判を利用して、婉曲的かつ、批判の対象(検察)をはっきりさせることなく批判するのは見当違いもはなはだしい。彼が「真実を明らかにする司法制度」を望むのであれば、片手落ちな死刑廃止論をかざして間違った手段=光市母子殺人事件の弁護はただちに止めて、もっと適切な手段の実行に邁進すできじゃないだろうか。

安田氏のような実力者には、検察の問題、被害者救済の国家的なシステムの批判と再構築に集中して欲しい。片手落ちな死刑の廃止を求めたところで、真実に光をあてて罪を裁きたいという氏の目標はいつまでたっても時の流行にのっているだけだし、これからやってくる陪審員制度の下では到底不可能な目標だ。

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スポットCM

朝ズバッのスポンサー企業とはどんなところだろうと気になって調べてみたら、このような中身の濃いブログがあった→東洋の魔笛「朝ズバッ」のスポンサースポットCM、、、放送局にしたら便利なものだ。しかし、まったくスポンサー企業の意向が反映されないという機能はどうなのだろう?
昨今の企業は、コンプライアンスをこれだけとやかく言うのだから、企業名が露出する場にはもっと配慮をするのが、一貫性をもった思考だ。
スポットといえども、使用を許可する番組を事前に選択できる自由を提供すべきだ。その結果、ある番組で流すCMが無くなったら、その番組は打ち切ればいい。視聴率だけでなくスポンサーの社会に対する姿勢を番組に反映することは、誰の損にもならないと思うのだけど。

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白い恋人

白い恋人が大変なことになっている。
こまったことに、どの新聞各社の記事をよんでも、正確に報道しているものが無いので誤解を生じさせている。毎度まいどのことだけど、レベルが低すぎる。
ざーっと見る限り、3つの事柄がミソクソ一緒になって、白い恋人を作っている会社は危険な食品を作る会社だ糾弾している。
3つのうち、1つは表示の問題であって、安全には関係ない。
2つは食品に安全の問題だけれども、その時の対応がまずかったという問題のようだが、細かく報道してくれるところが皆無なので、よくわからない。

まず、賞味期限を改ざんしたことについてだけど、これは不二家の時もいっしょ。賞味期限なのか消費期限なのかで、全く意味がちがう。安全性についていうのなら、賞味期限が多少ずれても問題なまずない。
そもそもこれらの期限は各社が独自に設定するものだから、1ヶ月というマージンは折込すみなのかどうかを知らなければ、誰も石屋製菓をjudgeすることは不可能。
なのに、いつものパターンで、新聞やTVは大騒ぎ。不適切きわまりない。

食中毒に関わる菌が発見された件については、回収はしたけど出来なかったもの(すでに消費されたとか)があったことと、リコールを公表しなかったことが問題とされているようだが、実際は報道が悪くてさっぱりわからない。訳がわからないままにされると、一般の人は嫌悪感を増強させるだけなので、風評被害となる。実害がなかったのに、倒産に追い込まれた雪印や、復活までに余計なコストを強いられた不二家がその左証。(権威のある研究者に、ぜひこの点を調査研究してほしいものだ。いつまでも、こんな破壊的な対応しかできないマスコミでは、日本の生産者は疲弊しモラルはますます悪化するばかりだ)。
通常、食品で問題があった場合は、その該当ロットをリコールするものだろうと思う。(面倒くさいから調べてないけど)。
そのリコールの方法がまずかったのだろうけど、保健所など当局への対応がまずかったというのが核心だろうと思う。報告があろうとなかろうと、リコールの内容は恐らく同じであっただろうと想像している。

手続きが悪かったけど、結果としは良かったというのなら、ある程度寛容にみてもいいんじゃないだろうか?!
日本の消費者は厳しいだ!という反論があるだろうが、消費者の威を借りて過剰に対応しているのは企業である。消費者ではない。企業のその行動根拠は対マスコミ対策とPRというのが核心だ。つまり、だれも安全なのかどうかなんで検討してない。だったら、厳しくする反対に(実害が同じなら)寛容さをもって対応するのは、別に問題ではないという結論になる。
許すことができるのは、人間の理性の一つだと思うですけど。

そういうへそ曲がりな考えをすると、コンサドーレ札幌なんかは一緒に頭を下げてパートナーとして隣にたって支えてやるのが、他人の痛みを理解できる普通の社会人の対応だと思う。

あ-でも、そういうことも出来なくしているのは、やっぱりなんでもズバッと断罪して視聴率だけをかせぐ、マスコミの責任なんだろうなぁ。それと、そんな番組にスポンサーとなっている企業の責任だろうなぁ。

そんなことよりもだ!
この間、北海道みやげとして、意気揚々「マリモッコリ」羊羹を買ったつもりが、「マリモコリ」羊羹でとってもがっかりさせられた。
「マリモッコリ」と「マリモコリ」って一体なんなんだ???どっちが先に生まれた???どっちがパチリだ???
北海道、教えてくれい!!!

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ラドン

妻のアメリカ在住の友人が、わたし向きのネタがあるといって教えてくれたのが、アメリカでのラドンの取扱われ方だ。ラドン温泉のラドンのことだ。
その方いわく、アメリカでは特に地下室のラドン濃度を調べてその少なさによって家の価値が変るという。少ないほどいい、というのである。ラドン温泉に慣れ親しんだ日本人からしたら、「まったくくだらねー話だ!」という話だったんだけど、ちょっと調べてみたら、論理より感情を優先する日本人という良くある問題に突き当たってしまった・・・

先週、先々週は、原爆投下と終戦にまつわる催し物や報道が多くなされた。
原爆によって未だにその後遺症に悩まれる方は、もちろん未だにアメリカを恨みつつも、その補償を求めることよりも歴史が繰り返されないことに精力を費やしているという方がいた。
中国や韓国が未だに従軍慰安婦などについて補償を求めるのと同様に、アメリカに原爆被害の補償を求めるべきという話がされていた。

前者は、被爆された方の最大限の譲歩と寛容によってもたらされることだと思う。頭が下がる思いだ。

ただ問題は後者だ。後者の論拠は、「放射能の影響が戦後62年たってもあるなんて誰も考えていなかった。」だから、改めて補償を請求したっていいじゃないか、というものが主であったように記憶している。

「過去には知らなかったことに対して、知見が蓄積された現在の状況をもって、その過去にさかのぼって補償を請求すること」は、道理にかなうことなのか、それとも否なのか、これは難しい問題だ。しかし、この問題は今日のところは見なかったことにして、ラドンの話に戻りたい。

まずラドンを調べていきなり驚いたのが、ラドンは常温では気体なんだけど、放射能を持った気体だということだ。その放射能には、発がん性があることが認められている。
まずは、世界機関の認識は、こうだ → http://www.who.int/ionizing_radiation/pub_meet/factsheets/radon_fs_291_japan.pdf
そして日本の政府の考えについては、こういう資料が見つかった → http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/05100301.htm ラドンは世界的に喉や肺のガン誘発要因として監視が厳しくなることをうけて、日本でもその基準を導入したらどうかということが文部科学省の審議会で議題に上っているということが伺える。しかし、同省は情報収集をして将来に備えようというような言質のはっきりしない答えを行っている。

ラドンで毎日被爆している人間がいるのだが、とりあえず情報収集をして確実になったら対策をとろうということだ。タバコの喫煙者も多いしラドンは身体に良いくらいに考えているのが一般の日本人だから、ラドンが肺がんの原因だとして特定しうる疫学的調査を得ることは不可能だろう。だから、今のままでは、日本では未来永劫、ラドンという放射性物質について対策はとられないだろうと予想される。

これが世界唯一の被爆国の、放射能に対しての考え方だ。62年間苦しんでいるのは、きっかけは原爆だけど直接の原因はそのときに浴びた大量の放射線だ。だったら、放射能についてもっと違う対応があっても良さそうなものだ。でも、ラドン温泉の効能に気持ちよくなって、そんな論理的な思考が出来なくなってしまっている。

そういえば、レントゲン技師の被爆問題も水面下であるように聞いたことがある。被爆国なのに放射線に関する知識と認知のお粗末さは一体なんなのだろう?

この現実を知ってしまうと、年に一回しか原爆について考える調子の良さに恥ずかしく思えてきてしまう。

どんなことに関しても啓蒙や情報が偏っているのは、いまの日本のマスコミのお粗末さだと断言できるが、歴史的な利益を出している一部上場企業は、いつまでそんな業界にスポンサー料を払うのだろう?楽天などTBSを買うなど発想が明治だ。なぜ、自分で作ろうという行動がとれない?

話がそれたけど、ラドン温泉は、そのマーケティングをちょっと考えたほうがいい。すくなくとも、世界の人々を呼び込んでの観光振興は、被爆国の国民としてやるべきではない。

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